「靨」(横溝正史)

巧妙な仕掛けが施された横溝の戦後作品

「靨」(横溝正史)
(「刺青された男」)角川文庫

「靨」(横溝正史)
(「消すな蠟燭」)出版芸術社

数年ぶりにある湯治宿を訪れた
小説家の「私」は、
その一室に掲げられた
婦人の肖像画に引きつけられた。
その婦人は宿の娘であり、
ある殺人事件で心に傷を負い、
床に伏しているのだという。
「私」は宿の女将から顛末を聞く…。

ある殺人事件とは、
その娘の婿が頭を割られて
谷から突き落とされた事件であり、
犯人は隣町のならず者であることが
判明しているが、
その行方が知れないというものです。
「私」はすでに町の人間から
その話を聞いていたのですが、
女将はさらに
驚愕の事実を打ち明けます。

事件の一年後、土砂崩れの後から、
犯人と目されているならず者の遺体が
発見され、それは少なくとも
娘婿の死亡から2日目であること、
従ってならず者は犯人ではなく、
真犯人は別に存在すること、
ならず者の死体は人知れず葬ってあり、
世間にはそれを秘してあること。
そうした新たな事実が
打ち明けられるのです。

本作品は横溝正史が終戦後、
それまで当局から禁止されていた
探偵小説の執筆を再開した
第2作にあたります。
いくつもの巧妙な仕掛けが
施された作品であり、
ぜひ読んでほしい横溝の傑作です。

本作品の味わいどころ①
よく練られた人物配置

事件の折に投宿していた
画家・毛利英三が
事件の鍵を握っているのですが、
その画家と小説家「私」との関係は?
そして画家・毛利は
どのように殺人事件に絡んでいるのか?
読み進めると、
実に味わいのある人物配置であることが
わかります。

本作品の味わいどころ②
名探偵の登場しない作品の良さ

横溝作品は金田一耕助ものよりも、
由利・三津木コンビシリーズよりも、
名探偵の登場しない作品にこそ
味わい深い作品が多いのです。
本作品も名探偵が登場しません。
宿の女将と画家「私」とが、
お互いの記憶を紡ぎ合い、
一つの真実へと辿り着く筋書きは、
実に味わい深い趣向といえます。

本作品の味わいどころ③
色濃く表出される愛情物語

本作品の本質はミステリーではなく
愛情物語なのです。
これだけは最後まで読み通さなければ
わからない仕組みです。
表題の「靨」(えくぼ)が
それを解き明かす鍵となっています。

それにしても「えくぼ」と書くと
少女のかわいらしい笑顔が
すぐに思い浮かぶのですが、
「靨」と漢字で表記しただけで、
何かおどろおどろしさが
滲み出てきます。
それもまた横溝の
巧妙な仕掛けの一つなのでしょう。

(2018.9.8)

ThuyHaBichによるPixabayからの画像

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